日本の鉄道史に貢献した人

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Quiz by nasubi
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Last updated: February 20, 2024
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問題
答え
C53形の設計に参加したのを皮切りに、C54形・C55形・C56形・C57形・C10形・C11形・C12形・C58形・D51形、
B20形や63系電車を設計し、80系電車による電車列車「湘南電車」の運行や新幹線計画でも中心人物として活躍した鉄道友の会初代会長かつ宇宙開発事業団の初代理事長
島秀雄
1884年に新居浜で生まれ、南満州鉄道理事を務めたのちに日本経済復興協会会長や鉄道弘済会会長を経て、4代目国鉄総裁となり
新幹線の建設に大いに貢献したことから新幹線の父と呼ばれるが、東海道新幹線の建設予算超過の責任を背負う形で総裁に再任されず、東海道新幹線開通前年の1963年5月19日に任期満了の形で退任した
十河信二
新橋〜横浜の鉄道開業以降、お雇い外国人に頼らない鉄道の敷設を推進し、鉄道頭専任となり、京阪神間鉄道の建設に尽力。 15年工部大輔、18年内閣鉄道局長官兼技監などを歴任した、日本の鉄道の父
井上勝
関西鉄道に入社し、国有化後は鉄道院に入省し鉄道作業局工作課長に。広軌化計画に策定し、その後汽車製造の社長になった。
1939年に鉄道大臣の諮問機関として「鉄道幹線調査会」が発足すると、特別委員長に選任され「弾丸列車計画」を推進した第一問目の父
島安次郎
「時刻表の父」として知られる、明治期の実業家。日本最初の月刊時刻表とされる「汽車汽船旅行案内」の発行者
手塚猛昌
佐野鉄道や高野登山鉄道の経営を改善し、1920年からは東京地下鉄道株式会社の常務取締役として東京の地下鉄建設に貢献し、地下鉄の父と呼ばれる
早川徳次
阪急電鉄をはじめとする阪急東宝グループの創始者で、私鉄経営モデルの原型を独自に作り上げた
小林一三
東急電鉄の事実上の創始者で、荏原電気鉄道の専務をし、大岡山や日吉、洗足の発展に貢献した
五島慶太
三井物産代表取締役社長から国鉄総裁に転身し、鶴見事件以降は給料を1円も受け取らず、「黒い霧事件」の際は国鉄幹部に『接待ゴルフはやめなさい』とたしなめるなど、財界出身ながらも国鉄内部に対して堂々と意見を発した。
また東海道新幹線開通式でテープカットをした。さらに「赤字83線」廃止提言や名神ハイウェイバス参入など国鉄の経営合理化に取り組み、国鉄経営に民間企業の経営方針の導入を試行した
石田礼助
井手正敬、松田昌士と共に「国鉄改革3人組」と称され、日本国有鉄道の分割民営化に尽力し、JR東海代表取締役社長などを務めた。2022年5月25日に亡くなった
葛西敬之
現在はえちごトキめき鉄道株式会社社長。いすみ鉄道株式会社でも2009年から2018年まで社長を務めた。有限会社パシナコーポレーションの社長と「おいしいローカル線をつくる会」の代表も務めている
鳥塚亮
第64-65代内閣総理大臣でロッキード事件で注目を集めた。朝日新聞の『「昭和」といえば何を思い浮かべますか… 全国世論調査』において、人物の分野で回答の21%を占め3位以下を引き離し2位となった
田中角栄
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